中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、
「日本」との文字があることを紹介する論文が中国で発表された。墓誌は678年
の作と考えられるとしている。日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古
代史の大きななぞ。大宝律令(701年)からとの見方が有力だったが、墓誌が本
物ならさらにさかのぼることになる。
中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、論文は吉
林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。祢
軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で1辺59センチの正方形。88
4文字あり、678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。
百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江(はくそんこう)
の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。その後の状況を墓誌は「日本餘●
(●は口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。「生き残った日本は、扶桑(日本の
別称)に閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため
百済の将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記していると気賀沢教授は説明する。
http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html
元ブラジル代表のカフーはこのkafuからとってるのかな
ただのあだ名かな
(日本)ニッポンかジッポンから来てるよね?
日いづる国って日本にいたらそんな発想できないもんな
本当は「ひのもと」なのか,
別の意味で「にほん」「にっぽん」という音に「日本」の文字を当てたのか
どっちなんだろう。
「どちらか一方に統一する必要はない」
民主党の岩國哲人議員が「日本国号に関する質問主意書」を提出したのは2009年6月19日。岩國議員は国号に2つの読み方があることをかねてから疑問視しており、今回の意見提出に至った。
6月30日の閣議では、質問に対して「『にっぽん』又は『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」と答弁することを閣議決定した。
岩國議員の質問主意書によると、読み方に関する議論はこれまでにも、たびたびあったようだ。岩國議員は、佐藤栄作内閣の1970(昭和45)年の閣議で話題になった際には、「『日本』の読み方
について、『【にほん】でも間違いではないが、政府は【にっぽん】を使う』と、『にっぽん』で統一する旨の閣議決定を行ったが、法制化には至らなかった」と書いている。
ただ、これに対して、答弁書では「『日本』の読み方については、御指摘のような閣議決定を行っていない」としている。内閣府総務課にも聞いてみたところ、「正式にはそのような話はない」とした。
そんな昔から「日本」の読みは変わっていないのかな?
エチオピア 1270年(エチオピア帝国)
フランス 843年(西フランク王国)
デンマーク 1157年(ヴァルデマー)
イギリス 1016年(デーン朝)
ポーランド 966年(ポーランド公国)
タイ 1238年(スコタイ朝)
ベトナム 939年(呉朝)
日本 5世紀?(倭の五王)
平安末期も東国が勝手に政権作りかけるのを必死で止めてた
が、結局頼朝が東国纏めて政権作っちゃった 負けた清盛は紛れも無い西の政権
一つの国に見えて実は二つの国が主導権争いやってるようなもの
1世紀:倭(地域名)の中でいろいろ小国が乱立
2世紀:倭国大乱、卑弥呼が倭の女王になる(倭全ての女王なのか一地域のボスなのか不明)
3世紀:邪馬台国畿内説を取るならこの頃倭の国々がヤマトを中心に集まって連合した、九州説なら倭の中心が畿内にうつった
4世紀:ヤマト連合(大和朝廷)が倭の他の地域も征服してほぼ統一する、中国へも倭王として使者を送る
5世紀:少なくとも今の天皇家はこの時代(継体天皇)まで遡れることは確実
6世紀:連合を組む豪族が変化、いくつかの有力な豪族が天皇家と組んで争い滅ぼしあう
7世紀:かつての有力豪族がほぼ消え去る(力を失う)
豪族連合が天皇をトップとする国家に変わる時期←(国家としての日本はこの頃から)
日本すげええええええええええ
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この記事へのコメント(2)
>>351
>4世紀は謎 統一なんてまだ夢の話 本州統一でさえ12世紀なのに
本州統一ってそんなに遅いか?
北海道まで阿倍比羅夫が遠征してたし古墳も作られてるんだから
東北の蝦夷も一度は朝廷に服属してたんじゃないの?
そのあとまた何度も戦争になったけど
それ以外の国々も日本以外の基準では経済力軍事力人口とも有力国家だったもんで
当時、世界にあった統治技術で何とかなるスケールでもなかったんじゃないかな?