安くなったけど壊れやすくもなったな
当時の事務所では算盤と電卓の手計算が一般的で効率が悪く常に過酷な残業を強いられた 人々は少しでも労働条件の良い職場を求めて転職(とらばーゆ)が流行した パソコンが普及すると過酷な残業から開放され定時後の余興(アフター・ファイブ)が実現し超好景気時代(バブル)を齎した一方で パソコンは未だ自動計算機としての意味合いが強くプリント・アウトされた帳簿は正式な書類としては認められず手入力による腱鞘炎も問題化した 今日の様なインターネット網(オンライン化)によるパソコン経由での正式な取引の普及と手入力からの開放は此のずっと後の話
8801とか9801.FMTowns時代の量販家電売り場って大好きだったな ゲームのデモ画面とか見てて欲しいなって思ってた この辺からWin95.98時代くらいまではホントワクワクする空間だった
この頃はプリンタもソフトも高額だった。
30年前、親父がワープロ買ったら100万したらしい。プリンタ込みで
確かにキーボードは昔の方がよかった 今でいうとリアルフォースみたいな感覚
富士通が独自仕様のパソコンとは別にAT互換のDESKPOWERとかいうパソコンを 当時のパソコンからすると破格値で売り出したのが低価格化に進むきっかけ? そういえばAT互換機が広まり始めたのも富士通が元のような気がしてきた NECはMSの提唱するPC98(NECの98シリーズじゃなくて)の仕様に 準拠したパソコンでAT互換機ではないといってたけど 富士通に追従したと思われたくなかったんじゃねって噂されていた記憶が・・・
昔って定価80万から逆算してパソコン作ってから安いモデルでも20万くらいしてた。今のVAIOのカスタムみたいなイメージだよ。ついでに標準のLANも拡張ボード付けて通信ソフト入れてテレビのアンテナ線みたいなケーブルで100万だった平成元年の思い出
おっさんホイホイだな。 80年代のPC98は100万円したって話がしたくてたまらない。
今や2TのHDが8kですよ 40前後のおっさんはそりゃ意味が解らなくもなるわ
富士通のAT互換機は、Acerの部品で構成されたてな、HITACHIもだけど。 日本のメーカー(NECとか)も海外ではPC/AT互換機作って売ってたし(国内は独自仕様だけど) まあ、大元のIBMがすごく高い値段だったからね。
20年以上前だけど、会社に入社して、旧帝大出身の同期の新入社員のほとんどが、ワープロしか使ったことがないのを知り、ワードとエクセルができる新人が入社したと言われたときに、自分の専門と会社のミスマッチを悟った。
PC-8001でマシン語のスクランブル打ってチェックサム睨みつつ動いた時は感動したなぁ
2004、5年に初めて買ったPCは20万強した
宮崎勤の事件があって、パソコンを持ってる人間はヲタク、ヤバい人間という風潮だった
そういや最初に買ったノートPCは60万超えてたな。 メモリが32Mbだったかな? 最近は安いね。
就職して最初に買った98は40万したよ その後メモリーとかHDDとかの増設で同じくらいかけたたっけ その98は既に無いが、その後に買った9821As2とXa9は部屋に転がってる もう二度と電源を入れる事はないと思うが...
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この記事へのコメント(17)
安くなったけど壊れやすくもなったな
当時の事務所では算盤と電卓の手計算が一般的で効率が悪く常に過酷な残業を強いられた
人々は少しでも労働条件の良い職場を求めて転職(とらばーゆ)が流行した
パソコンが普及すると過酷な残業から開放され定時後の余興(アフター・ファイブ)が実現し超好景気時代(バブル)を齎した一方で
パソコンは未だ自動計算機としての意味合いが強くプリント・アウトされた帳簿は正式な書類としては認められず手入力による腱鞘炎も問題化した
今日の様なインターネット網(オンライン化)によるパソコン経由での正式な取引の普及と手入力からの開放は此のずっと後の話
8801とか9801.FMTowns時代の量販家電売り場って大好きだったな
ゲームのデモ画面とか見てて欲しいなって思ってた
この辺からWin95.98時代くらいまではホントワクワクする空間だった
この頃はプリンタもソフトも高額だった。
30年前、親父がワープロ買ったら100万したらしい。プリンタ込みで
確かにキーボードは昔の方がよかった
今でいうとリアルフォースみたいな感覚
富士通が独自仕様のパソコンとは別にAT互換のDESKPOWERとかいうパソコンを
当時のパソコンからすると破格値で売り出したのが低価格化に進むきっかけ?
そういえばAT互換機が広まり始めたのも富士通が元のような気がしてきた
NECはMSの提唱するPC98(NECの98シリーズじゃなくて)の仕様に
準拠したパソコンでAT互換機ではないといってたけど
富士通に追従したと思われたくなかったんじゃねって噂されていた記憶が・・・
昔って定価80万から逆算してパソコン作ってから安いモデルでも20万くらいしてた。今のVAIOのカスタムみたいなイメージだよ。ついでに標準のLANも拡張ボード付けて通信ソフト入れてテレビのアンテナ線みたいなケーブルで100万だった平成元年の思い出
おっさんホイホイだな。
80年代のPC98は100万円したって話がしたくてたまらない。
今や2TのHDが8kですよ
40前後のおっさんはそりゃ意味が解らなくもなるわ
富士通のAT互換機は、Acerの部品で構成されたてな、HITACHIもだけど。
日本のメーカー(NECとか)も海外ではPC/AT互換機作って売ってたし(国内は独自仕様だけど)
まあ、大元のIBMがすごく高い値段だったからね。
20年以上前だけど、会社に入社して、旧帝大出身の同期の新入社員のほとんどが、ワープロしか使ったことがないのを知り、ワードとエクセルができる新人が入社したと言われたときに、自分の専門と会社のミスマッチを悟った。
PC-8001でマシン語のスクランブル打ってチェックサム睨みつつ動いた時は感動したなぁ
2004、5年に初めて買ったPCは20万強した
宮崎勤の事件があって、パソコンを持ってる人間はヲタク、ヤバい人間という風潮だった
そういや最初に買ったノートPCは60万超えてたな。
メモリが32Mbだったかな?
最近は安いね。
就職して最初に買った98は40万したよ
その後メモリーとかHDDとかの増設で同じくらいかけたたっけ
その98は既に無いが、その後に買った9821As2とXa9は部屋に転がってる
もう二度と電源を入れる事はないと思うが...