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トヨタ「潰れそう・・・住友さん助けてクレメンス・・・」
住友「は?機屋に貸せても鍛冶屋には貸せねえよ。というか貸してたカネ今すぐ耳揃えて全額返せや」
トヨタ「ヒェッ・・・」
~10年後~
住友「得意先のプリンスが潰れそうンゴ・・・トヨタさん引き取ってクレメンス・・・」
トヨタ「は?プリンスの社長当時住銀でワイらに酷いこと言った張本人やん、鍛冶屋のワイには不具合でしょうからお引き取り下さい」
↓
50年絶縁
ヤバすぎぃ!
くすぶるトヨタ出資の新銀行設立構想 トヨタ創業者を死に追いやった住友への恨みと不信
http://biz-journal.jp/2015/01/post_8510.html
東海地方は元来、旧東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の牙城だった。
東海銀は強力な営業力を誇り、大きな存在感を示していた。トヨタが
東海銀を支えてきたといっていい。 トヨタの協力企業は東海銀から融資を受け、
トヨタは東海銀と旧三井銀行(現三井住友銀行)の2行を優遇し、
住友銀行とは絶対に取引をしなかった。
>>3
これには理由がある。戦後の1950年、ドッジ・ライン不況でトヨタが倒産寸前に追い込まれたとき、
三井銀(当時は帝国銀行)、東海銀を中心とする銀行団が緊急融資をした。
当時、三井・東海と共に主力銀行の1つだった住友銀行(当時は大阪銀行)は、
「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と、にべなくトヨタの緊急融資の要請を断り、
さらに貸出金の回収に走り、トヨタとの取引を打ち切った。
この交渉での心労がたたり、創業者の豊田喜一郎氏は1952年3月に急逝した。
>>4
トヨタの歴代社長は、この仕打ちを決して忘れなかった。
65年、トヨタは経営危機に瀕していたプリンス自動車の救済を、
プリンスのメインバンクである住友銀の堀田庄三頭取から懇願された。
トヨタの石田退三会長は「鍛冶屋の私どもでは不具合でしょうから」と堀田頭取の要請を拒絶した。
トヨタと住友銀との取引が再開するのは、三井銀の後身の
さくら銀行と住友銀が合併して三井住友銀行が発足してからだ。
ただし、取引窓口は旧三井銀出身者に限っていた
1人でレスしてるこいつキモ
闇すぎる・・・
はえ~
銀行の本質が如実に現れとるね奴らは所詮客は金蔓としか思っとらん
半沢やん
>>25
そら元々やしな
住友も三井住友も名前似てるし同じようなもんだろ
なお住友は三井と引っ付いて結局トヨタが泣いた模様
>>33
う~ん、この!w
むしろ知らんかったのか
別に闇が深くはないだろ
丸で住友が悪いみたいだけど追加で貸してくれないから逆ギレとか
>>40
丸が悪いよ丸が~
はえ~すっごい勉強になる
あの情況で貸しはがしは鬼畜の所行やからな
女の腐ったような企業は案外多い
PS2全盛でゲームキューブ冷遇したゲーム店にWii出さない任天堂とかな
引用元: この記事は2ch.scからまとめました。
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この記事へのコメント(6)
なおその後プリンスを引き取った日産は技術力が急落し
一時期はリードしてたトヨタに完敗
無事フランス企業になりましたとさ
任天堂は逆に受けた恩は忘れないぞ
倒産寸前の時に支払待ってくれた地元の印刷屋と今でも付き合いがあって
パッケージは全部そこに委託してる
商売ってそういうもんだからね。
+-、利益と損失だけでやるもんじゃない。
そのトヨタがピンチの時助けたのが三菱。
今でも三菱東京UFJ銀行がメインバンクだし、トヨタが商売で使うのは三菱系の企業。年間何万台ものトヨタ車を輸出時に運ぶのが日本郵船(三菱の海運部門)だったりする。
情けは人の為ならずやな。
通すべき筋や果たすべき義理がある
利害だけじゃ世の中回らない
当たり前と言えば当たり前の話
どこにでもこんな話転がってる
直接聞いた話だと
中小企業の社長の息子が営業車にハネられる→営業車側の対応悪→社長が恨む
→中小企業がその地域の有名企業に→営業車の会社が挨拶に→社長に水掛けられる→社長が亡くなるまで出禁
ってのがある